【南三陸トリビア】旧・松原公園

【南三陸トリビア】旧・松原公園【永久保存版】

きのぷー

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みなさんこんぬづわー!

今日は「南三陸トリビア」。かつて、志津川地区・汐見町の海岸沿いにあった松原公園(まつばらこうえん)についてのお話です。

旧・松原公園について

松原公園はJR志津川駅から歩いて15分ほど、汐見町の海岸沿いにありました

モアイやコンドルの像、SL(C58-16)が展示されていたほか、体育館や野球場などの施設も兼ね備えていて、旧志津川町時代から地元にとって大きな存在でありました。

2011年に東日本大震災の大きな被害を受けた後は、町の復興事業推進のために利用されてきましたが、2019年に志津川駅の北、助作(すけづくり)の地に新・松原公園が移設・開園しました

モアイ像について

旧松原公園のモアイ像
旧・松原公園のモアイ像

冒頭申し上げましたが、旧松原公園に、イースター島のモアイ像のレプリカが置かれていました(平成3年7月に設置されたとのこと)

チリ共和国本土ではありますが、本物のモアイと同じ種類の石を使い現地の石工が製作したそうです。

松原公園のモアイはどうなった⁉️

松原公園にあったモアイ像ですが、2011年3月の大津波で流失は免れたものの、首と胴体が切れて破損してしまいました

松原公園のモアイはいずこへ?

その後、発生から8ヵ月後の平成23年11月に南三陸町と三菱商事が協力のもと、モアイの頭部が志津川高校(現:南三陸高校)に運ばれ、安置されることとになりました。

以来12年余り、登校する皆さんを見守ってきたモアイですが、2023年4月29日。旧松原公園に近い「うみべの広場」に設置されることになり、高校を離れました

志津川高校(当時)にあったモアイの頭部
志津川高校(当時)にあったモアイの頭部

SL展示(C58-16)

旧松原公園のSL(C58-16)

1978年5月に国鉄気仙沼線全通記念として展示され、以来33年近く来園者を出迎えてきました

こちらのSLも東日本大震災で被害を受け、2012年に解体されました

展示スペースにあった紹介文

この蒸気機関車C58-16は昭和13年9月川崎車輌株式会社で誕生。北海道、宮古、中国、関西の各線で活躍。全線無煙化達成の昭和50年1月、会津若松駅を最後に引退致しました。この間に走行距離、実に3,676,414KMで地球を45回も廻ったことになります。以後は仙台鉄道管理局に依り会津若松機関区に大切に保存していたものを気仙沼線全線開通祈念としてこのたび特に当町に貸与されたものであります。

みんなで此の貴重な文化財であるC58-16を大事にしましょう。

昭和55年(1978)年5月5日(こどもの日)
志津川町・S・L保存会

C58-16 メモ
  • 製造年月日 昭和13年(1938)年9月23日
  • 製造所 川崎車輌株式会社
  • 走行距離 3,676,414km
  • 型式番号 C58-16
  • 全長 18.275m
  • 幅 2.936m
  • 高さ 3.940m
  • 重量 積車95t 空車75t
  • 炭水車 水15t 石炭5t
  • 動輪直径 1.52m
  • 火格子面積 2,150平方m
  • ボイラー圧力 16ks/平方cm
  • 最大馬力 330馬力
  • シリンダー直径 0.48m
  • 最高速度 85km
旧松原公園 ここがポイント!!
  • 旧志津川町時代を代表する、複数の施設を兼ね備えた公園でした
  • モアイ像は本物のモアイと同じ石で作られたもの

南三陸モアイマップ

関連ウェブサイト

南三陸観光ポータルサイト
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宮城県南三陸高校
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外務省ホームページ
南三陸モアイ化計画資料 本校情報ビジネス科の授業「課題研究」では、平成22年度から地域活性化を目的 とした「南三陸モアイ化計画」をスタートさせ、モアイ像を活用した商品開発や町のPR活動、さらには防災意識の高揚に役立てたり、チリ共和国との国際交流を図ろうと取り組んできました。

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きのぷー

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2010年南三陸町初訪問。震災後もボランティア活動等を通じて地元との交流を重ね、2012年4月より「いいね!南三陸町」をスタート。町内各地を訪ねて見つけた町の魅力をお伝えして参ります。

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