みなさんこんぬづわー!
今日は「いいね!南三陸町」が選ぶ南三陸町の風景百選、題して「南三陸百景」のダイジェストをお届けします(^∀^)ノ
早速行ってみましょう!(*> ᴗ •*)ゞ
はじめに
東日本大震災によって、町のいくつもの名所が失われたために、現時点で百景すべてを紹介することはできませんが、今ある町の名勝・史蹟から紹介しながら、町の復興のあゆみとともにこの「南三陸百景」を完成させていきたいと考えました。
南三陸町の魅力の真髄を、是非実際に町へおいでいただいて、体感してみて下さいませ。
震災後の復興状況を見ながらの認定したい箇所もございますので、百景が出揃うには相応の時間がかかりますことをご了承下さい。
まずは、候補をピックアップしてみることにしたいと思います。
(以下、不定期に更新、入れ替え致します)
- 仮認定 95/100
定番スポット 20箇所
戸倉地区。全国白砂青松百選にも選ばれた南三陸町屈指の名勝。岩の割れ目の間から押し寄せる荒波は圧巻
歌津地区。南三陸町最高峰(標高512.4m)山岳信仰の霊山として栄え、山頂の経塚群をはじめ数多くの遺跡が眠っています。ツツジの群生地としても有名です
入谷地区。平成21年3月31日に閉校となった南三陸町立入谷中学校の木造校舎。現在はものづくり工房「入谷Yes工房」として活用されています
戸倉地区。波伝谷〜津の宮〜滝浜漁港の沖合に浮かぶ島。左が竹島(たけじま)で右が椿島です。椿島のほうが湾岸から離れたところにあります。
戸倉地区。町の公式名称は椿島を前面に出していますが、椿島には椿以外にもタブノキを中心に沢山の樹木に覆われているため、地元では青島(あおしま)とも呼ばれています
歌津地区・泊崎半島南端の岬。地名から「尾崎(おさき)」とも呼ばれています。近くには尾崎神社があります。
志津川地区。「日本の海水浴場88選」にも選ばれた人気スポット。元々は岩場だったこの場所に、300mの人工砂浜を作ってできたところ。震災後の休止を経て営業を再開し、賑わいが戻りつつあります。(写真は震災前のサンオーレそではま)海岸のすぐ近くには2つの岩礁があり、その見た目から「モアイ岩、ホッキ島(出臍島)」という名前が付けられています
志津川地区。袖浜海岸にある陸繋島。海岸から近いので、歩道橋が架けられて歩いて行くことができます。島の中には荒嶋神社があります。また、荒島の南側の岩礁には名前があり「弁天島」といいます。
入谷地区の田園風景
入谷地区・山の神平にある平成11年3月で廃校となった旧志津川町立林際小学校の木造校舎。現在は長期滞在可能な体験学習の拠点「さんさん館」として活用されています。さんさんとは、地元の三つの山(惣内山、童子山、神行堂山)と太陽がさんさんと照る里、という意味。
志津川地区の南、黒崎付近に志津川湾と気仙沼線BRTの最接近ポイントあり。高架を走るところが特におすすめです。
入谷地区の北東部に聳える神行堂山は旧志津川町最高峰(標高459m)。南麓の巨大な花崗岩の露岩(通称・巨石)も有名です
入谷地区。巨大な花崗岩の露岩で、古くは神行堂山とともに信仰の対象となっていたそうです
入谷地区。標高320.5メートル。かつてこの地で金の採掘が行われ、「陸奥の黄金山」として名を馳せるほどの繁栄ぶりだったと言います。地元でどんつぁんと言えばこの山のこと
志津川〜入谷地区。入谷三山の一つで、屏風を広げたような横長の山嶺が特長です。標高379.5メートルの山(三角点所在地)。登山自体は可能で、山頂付近から志津川湾の風景を見ることができるそうですが、特に整備はされておらず、三角点がポツンとあるだけ。なお、山頂よりも高い稜線上の最高地点は398mで、坂の貝峠と山頂のほぼ中間地点。
南三陸町戸倉地区と石巻市北上町にまたがる大盤峠。山頂付近は大盤平とも呼ばれ、360度の大パノラマが楽しめます。地元の方もイチオシのスポットです。戸倉ルートと北上町ルートがあり、後者は道路が舗装されていて比較的アクセスしやすいですが、道路のひび割れ等が随所に見られるため、通行時は十分ご注意ください
国道398号、入谷地区と志津川地区との境界付近に架かる橋。旧志津川町を代表する名物がデザインされたオブジェに注目。西側がモアイ、東側が繭玉です
志津川地区。南三陸さんさん商店街の南、志津川湾が一望できる場所に2023年7月にオープンした広場。かつて松原公園に設置されていたモアイ像と、震災後にチリから寄贈されたモアイ像があります!(写真準備中)
こちらの写真は黒崎から見た志津川湾の風景です。
志津川地区。八幡川に架かる橋。震災で流失後、復興祈念公園と道の駅さんさん南三陸を結ぶ橋として再建されました。
自然環境
歌津泊浜・長須賀海水浴場から見る金華山
入谷地区。歌津払川方面を結ぶ峠道。道中にある「なまこ石、血の池、山がんの里、坂の貝峠」に注目。山がんの里は地元の初日の出スポットのひとつとなっているようです
歌津地区・泊崎半島の東海岸。碁石を敷き詰めた海岸が特長的。写真左後方に見えるギザギザの岩礁が鵜島です
歌津地区。モクゲンジはムクロジ科の落葉植物。日本では日本海側の地域を中心に生育していますが、太平洋側の南三陸地域に生育していることは学術的に貴重とされ、町の天然記念物に指定されています。
生育地はだいたいこのあたり
志津川地区。標高372m。志津川・戸倉・入谷の3地区の境界に位置する山。戸倉地区にも同名の保呂羽山があることから、こちらを「男保呂羽(おほろわ)」、戸倉の山を「女保呂羽(めほろわ)」と呼び分けることもあります。
戸倉地区。標高329.4m。志津川地区にも同名の保呂羽山があることから、こちらを「女保呂羽(めほろわ)」、志津川の山を「男保呂羽(おほろわ)」と呼び分けられることも
入谷地区。標高80mほどの小さな山。元々地元では「ばば山」と呼ばれていましたが、震災後に整備が進められ、新たに「花見山」と名付けられました
志津川地区。標高244.6m。三角形のおにぎりを思わせる形が特長的
志津川湾北東の沖合に浮かぶ島。面積は約1.8ヘクタールで、細長い形が特徴的な島です
歌津地区。標高403メートル。山頂近くに設置された鉄塔が目印。山の名前にもなっている高僧・満海上人が即身仏となるために入定した山と言い伝えられています
入谷地区と旧登米町の羽沢地区を結ぶ峠。水尻川の源流部も近く、晴れた日には志津川湾の遠景を見ることができます
入谷地区。童子下に生育するカヤ(榧)の大木。高さ20メートル、推定樹齢はなんと平成6年時点で500年以上!旧志津川町の名木指定第13号(平成6年1月)。
志津川地区(写真準備中)
入谷地区(写真準備中)
旧志津川・歌津両町の境に位置する山。標高360.3m。前九年の合戦に敗れた安倍貞任が隠れ住んだと言われています
入谷地区と登米市とを結ぶ峠のうち、一番北側にある峠です
入谷地区。標高412.0m。尖った形が特徴的な山。名前の由来は諸説あるようです
入谷地区・残谷の集落にある山。標高296m。地元の青年たちが夜中に山頂に集まり奥山に棲むオオカミに呼びかけてお供えを捧げるという祭りが戦前まで行われていたそうです。
戸倉地区。南三陸町には松島という名前の島が3つあり、こちらは神割崎キャンプ場の近く、寺浜にある松島。ウミネコの集団繁殖地となっています
(参考:歌津寄木の松島)
(参考:歌津地区田の浦にある松島)
こちらは田束山頂からズームで拡大して撮影しました。ここの松島は歌津地区内で一番大きな島のようです
戸倉地区。名前はウソでも、ホントの名前。かつてウミネコの繁殖地だった島(岩礁)です
遺跡等
入谷地区。「ひころの里」の敷地内にある幕末郷士・須藤家の居宅であった屋敷です。ひころの里では、まゆ細工やそば打ちなど、入谷ならではの様々な体験ができます。「ひころ」とは入谷地区の伝統芸能である打囃子の題の一つで、ひかりを意味します
入谷地区。
歌津地区。世界最古級の魚竜・ウタツギョリュウ(学名:ウタツサウルス・ハタイイ)の化石産地
歌津地区。日本で初めてモノティス(皿貝)が発見された場所で、周辺地域の地名にもなっております(歌津皿貝)(写真準備中)
入谷地区。童子下にある小さな塚(写真準備中)
志津川地区。志津川インターチェンジの北にある丘の上にある3つの塚(写真準備中)
志津川地区(写真準備中)
入谷地区。館の主人が強弓の使い手だったことから「遠矢ヶ森館跡」という別名も
公園・施設等
町内各地に木彫りのモアイが点在しています
かつては汐見町の湾岸沿いにあり、モアイとコンドルの像やSL(C58-16)が展示されていたほか、他にも体育館や野球場などの施設があり、旧志津川町時代から地元にとって大きな存在でありました。震災後に内陸寄りに再建されました
歌津地区。複合型スポーツ施設。運動場、野球場(平成の森しおかぜ球場)、キャンプ場、レストランなどを備えた公園。姉妹都市の名を冠した友好通りもあります
志津川地区。「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街に」とのコンセプトで2012年2月25日に仮設商店街がオープン。その後2017年3月3日に現在の場所に本設開業しました
歌津地区。2017年4月23日に開業した商店街。名前の由来は「はまる」「浜」「マーレ(イタリア語で「海」)」を掛け合わせて作った言葉。
志津川地区。
歌津地区。南三陸町の北東部、歌津半島にある漁港です
泊浜漁港から見える小島にも注目。写真後方左側に写っている島は唐島(からじま)、手前中央に見える岩礁は籬島(まがきじま)です
戸倉地区。志津川湾南に位置する漁港
戸倉地区(写真準備中)
歌津地区(写真準備中)
入谷地区。
志津川地区。
志津川地区(写真準備中)
志津川地区。
志津川地区。1977年(昭和52年)12月11日、国鉄の駅として開業。震災後、2度の移設を経て2022年(令和4年)10月1日、道の駅さんさん南三陸内に新志津川駅が完成しました
志津川地区。2019年4月、志津川地区新井田にオープンした交流拠点複合施設。図書館などがあります。
入谷地区(写真準備中)
イベント
志津川地区。志津川の夏と言えば「志津川湾夏まつり」。中でも、日本の伝統歌謡「甚句」を現代風にアレンジした「トコヤッサイコンテスト」は志津川の名物です(写真準備中)
歌津地区。「志津川湾夏まつり」とともに南三陸町の夏の風物詩。ステージパフォーマンス、出店と企画満載
志津川地区。毎年12月29日開催の志津川の年の瀬を締めくくるイベント(写真準備中)
お祭り
入谷地区。伊達領の祭り囃子の古式を今日に伝承してきたと言われる入谷打囃子は毎年9月中頃に地元・八幡神社の秋祭りに奉納されます。地元にある四つの打囃子講がそれぞれ4年に一度、順番に奉納します。2012年度は9月16日に行われ、特別に志津川のさんさん商店街でもお披露目されました
歌津地区(写真準備中)
戸倉地区(写真準備中)
歌津地区(写真準備中)
戸倉地区(写真準備中)
その他
南三陸町内一円
歌津地区。写真は、民宿・清観荘さんの近く、丘の上にある海の見えるひまわり畑で、晴れた日は、対岸の戸倉地区まで見渡すことができます。また、民宿高倉荘さんの目の前にもひまわり畑があります!「いいね!南三陸町」一番人気のスポットです!
戸倉地区。神割崎キャンプ場の北側にある、見通しのよい丘の上に建っている灯台です
歌津地区の北、泊崎半島の歌津崎に小さな灯台があります。岬からは少し離れた場所にあり、周りは畑や樹木に囲まれています。歴史は古く、大正13年9月に初点灯をし、昭和28年1月に改築されたとのこと。この地が海上交通の重要な場所であったことを物語っています。
入谷地区。には巨石やなまこ石以外にも石にまつわる史跡?が点在しています。こちらは石が三つ重ねになった「重ね石」。志津川町教育委員会ふるさと百選46番。現地の案内板によりますと、水神「続石明神」として尊敬されていたと言われています
歌津地区。伊里前川に建設された重力式コンクリートダム。20年の歳月を経て2012年竣工。ダム湖は「田束湖」と命名されました。ダムの導流壁がモアイに見えてしまうのは気のせい?
歌津地区。田束山を擁する山間地域です
志津川地区。商工団地と志津川漁港を結ぶ県道「志津川漁港臨港道路」に架かる橋。2006年3月完成。橋の長さは144.5メートル。ちなみにはまゆりは旧志津川町の町花。
戸倉地区(写真準備中)
マニアック
志津川湾の沖合にある岩礁。普段は海中に隠れていますが、波の動きで所在を確認できます。町のバーチャルミュージアムによりますと、ここが旧志津川漁協と旧戸倉漁協の漁業区域の境界となっていたようです。
歌津地区内に国道45号の100kmポストがあります(仙台起点・終点)
入谷地区。志津川町教育委員会ふるさと百選23番。現地の案内板によると、山内甚之丞家の庭にあった桜の木で、地元の地名「桜沢」のもとになったと言われています。また、桜の開花時期などを農作業の時期の目安にしたという言い伝えもあるようです。
入谷地区。志津川町教育委員会ふるさと百選41番。現地の案内板によると、「らんば」(墓所の旧名)とも呼ばれる板碑群で、こちらには大日如来や阿弥陀如来などを表す梵字が刻まれた板碑や青面金剛塔などがあります。古くから名所の一つとなっていたようです
入谷地区。高僧・重海の墓所とされている場所です。案内文によりますと、「重海上人の墓があった所で、円形の土饅頭が段(壇)です。このことは入谷物語の中でも記録されています。塚の形から推測すると重海上人とは相当な高僧であったと思われます。」
戸倉地区。寺浜漁港の北東沖合い約1.4キロメートルにある岩礁。見た目からこの名前が付けられたと思われます
戸倉地区と入谷地区を結ぶ山道(名称の由来は不明です)
志津川地区。長さ150m。南三陸さんさん商店街のコンセプト「燦々と輝く太陽のように笑顔をパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい」という由来にちなみ橋の色を黄色にしたとのこと
戸倉地区波伝谷。十二曲峰山の上に設置されている「志津川テレビ中継局」のこと。デジタルテレビ放送とFMラジオ放送の中継局となっております。
志津川地区。ベイサイドアリーナの前に設置されたタコの形をした時計。オクトパス君のイラストも描かれてます
志津川地区。
志津川地区。南三陸高校の校舎に通じる並木道が旭桜坂(ぎょくおうざか)と命名されました
志津川地区。志津川中学校に通じる「しょうらい坂」。志津川中学校創立50周年を記念して命名されました